2013年7月30日火曜日

バスを知る

どうも、こんにちは

今日はバスの歴史について

ブラックバスが日本に来たのは1925年。赤星鉄馬氏によって神奈川県・芦ノ湖に移入されました。

ゲーム性の高いサカナなので集客効果を狙って各地の漁協組合がこぞってバスの稚魚を欲しがったそうです。何度か特例によって移植を試すために芦ノ湖から持ち出されたようですが、どこも定着しなかったそうです。

第2次大戦後のアメリカ占領期に米軍が〝兵士の士気を高めるためのレクリエーションとして釣りを行うためにバスを各地に放流した〟という事もあったらしいのですが、これも定着しなかったそうです。

少なくともひとつのフィールドにバスを定着させるには2,000~3,000の個体が必要で、生息を維持するにはバスの3~5倍程度の小魚が必要だと言われいるので米軍の放流程度で定着させるのは難しかったということです。

現在では九州から北海道・札幌あたりまで日本全国に生息域を拡大しているそうです。

俗に「ごく一部のバサーとバス釣り業界関係者による密放流」と言われていますがどこにも証拠はありません。

むしろ「へらぶなやアユなどの稚魚放流の種苗にバスの稚魚が混ざっている」という説が現在のところ最も信憑性が高いとの噂です。

どちらにしても〝人間の営利目的〟〝ただ単に釣りたいから放流する〟事がいかに自然にインパクトを与えるかを考えさせる出来事になりました。

ちなみにバスの事を〝ブラックバス〟と呼ぶのは日本だけで、海外では通用しません。

元々芦ノ湖でレインボートラウトのことを虹鱒・ブラウントラウトのことを茶鱒と呼んでいた習慣でバスの事を〝黒鱒〟と呼んでいた事を由縁につくられた和製英語で、標準和名を「オオクチバス」と言います。

0 件のコメント:

コメントを投稿